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Posted by 京つう運営事務局 at

紫式部&小野篁の墓所♪

2013年01月31日

北区の区役所に用事があったので、
ついでに、大昔に一度行ったことのある、「紫式部のお墓」へ立ち寄ってみました。


京都市北区紫野西御所田町(堀川北大路下ル西側)。小野篁(おののたかむら)

のお墓と隣り合わせになっています。京都に住んでいる人もあまり知らない場所

のようですね。


あの優雅な源氏物語とは無縁のようなたたずまいですね。
大昔の記憶では、空き地にお墓があるような雰囲気でしたが、
すっかり、綺麗に整備されたようですね。

全国から多くの方が観光に訪れているそうです。


墓所の入口





左手にある小部屋には、“紫女ノート”という訪れた方の感想ノートや顕彰碑の

解説書などがおかれています。








生田斗真君が主演の映画のパンフレットも置いてありました。




地味な雰囲気のお墓に、とっても華やかさが演出されて?いますね♪



紫式部の墓前には、歯痛留地蔵も祭ってあります。
歯痛のお地蔵さんが存在するなんて知りませんでした。





お墓は道を進んで右側にあります。





左手には、紫式部のお墓







右手には、小野 篁(おの の たかむら)のお墓






紫式部顕彰碑






小野篁に関する石碑






ウィキペディアより抜粋

墓所

紫式部の墓と伝えられるものが京都市北区紫野西御所田町(堀川北大路下ル西側)に残されている。紫式部の墓とされるものは小野篁の墓とされるものに隣接して建てられている。この場所は淳和天皇の離宮があり、紫式部が晩年に住んだと言われ後に大徳寺の別坊となった雲林院百毫院の南にあたる。この地に紫式部の墓が存在するという伝承は、古くは14世紀中頃の源氏物語の注釈書『河海抄』(四辻善成)に、「式部墓所在雲林院白毫院南 小野篁墓の西なり」と明記されており、15世紀後半の注釈書『花鳥余情』(一条兼良)、江戸時代の書物『扶桑京華志』や『山城名跡巡行志』、『山州名跡志』にも記されている。1989年に社団法人紫式部顕彰会によって整備されており[29]、京都の観光名所の一つになっている。


ところで、お二人の関係は 恋人?関係者?

実は、これは愛欲を描いた咎で地獄に落とされた式部 を、篁が閻魔大王にとりなしたという伝説に基づき、
お墓が並んでいるようですね♪

皆さんも、一度足を運んでみてくださいね(#^.^#)



  


Posted by パソコバ at 10:25Comments(4)